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不幸論について考える

幸福論という本などはよく出ていますが、

不幸論というのはあまり目にしないですよね。

不幸を感じている人はあまりどこかにアウトプットする傾向がないですから。

 

しかし、考えてみれば割と納得してしまうもので、

人は生きているだけで不幸

というのを思って生きている人は少なからずいるのではないかと思います。

 

当然、貧困に生まれた方はご飯もまともに食べれず、

寒暖に厳しく、1日過ごすだけで相当なつらい思いをしている人も世の中にはいるでしょう。

 

その場合は容易に、一般で言う不幸を感じるとは想像できます。

 

僕は一応日本に生まれているのですが、

高校時代に

「死にたい」

を親に連呼していたのが記憶に残っています。

 

別にいじめられていたわけでもなければ

頭が特別悪くて便局についていけなかったわけでもなければ

家庭環境が悪かったわけでもありません。

 

正直何不自由ありませんでした。

貧困国の子どもたちには怒られるでしょうが、

何のために生きているのか全くわかりませんでした。

 

勉強は一体何のためにするんだろう?

勉強するのは嫌い、やりたくない。

部活もしんどい、けど辞めるのもまたしんどい。

ゲームは面白い、けど一日ずっと頑張ってゲームがご褒美は割に合わない。

 

人生は人間関係で生きがいが変わると言われていますが、

全くそのとおりで、この頃は人を大切にしてなかったですし、

そんな人間を大切にしてくれる人もいませんでした。

虚無の世界です。

 

そんな僕も大学デビューを果たして、人の優しさにふれ、幸福を取り戻すわけなんですが(笑)

 

しかし、また社会人になって人間関係や虚無の世界に逆戻りします。

また、人生をもう終わりにしても後悔がないんじゃないかと思うようになります。

 

これもまた、人間関係の問題や日々のルーティンに魅力を感じなくなったからです。

 

チャレンジしたい。

そう思う瞬間もたくさんありましたが、

悪くない仕事環境と給料、安定した人生(ではないと確信しているが)を捨てる勇気もなく、

まさしく不幸の中に自ら陥っていきました。

 

人は生きていくだけでなんてしんどいのだろう

というスーパーネガティブに生きていたところ

経営者さんなんかに会ったときには雷が落ちるほど正されたわけですが(笑)

この根本的な闇を払うためにも

成長してそれを突破していく試練が人生

とさえ思うようになりました。

 

どこまでいっても不幸との戦い

と思うと人生が楽になりました。

という僕なりの解釈です。

 

でも、これに勝利し続けないといけないと

人生はやはり1回しかない

という現実から、覚悟を決めて過去も今も生きています。

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