笹がうまい

本当に笹でいいのか?

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承認欲求を捨てる

まず、僕が一番変わったことは承認欲求をあまり意識しなくなったことにあります。

全部捨てているんですか?

という極論は置いて話しますが、

人からの評価ばかりを気にしていた自分から

自己満足で生きるように変えました。

 

アドラー哲学の影響もあると思います。

インスタグラムが流行っている昨今では、ほとんどの人が人生のハイライトをアップしてイイねをもらいます。

これを見て、いいなーとか羨ましいなーとか思うわけですよね。

 

もう、それ自体が哀しいことに思えます。

ローライトの日常や今と他人のハイライトを比較している事自体がイケてないです。

勝てっこないです。

それによって、自分はだめだとか、人生はつまらないとか、思ってしまいがちな昔の自分がいたのも事実でした。

いつ何時でもポジティブに捉えられる人は良いですが、そういう人の殆どは

収入=支出

となっていて、今後日本で生きていく上で終身労働制になることが予想されるので、それはそれで賢くないと考える人間です。

 

話が暗くなってしまいましたが、

ポジティブになれないというデメリットがある程度わかった以上、

人と比較したり、他者から承認されることを目的に生きるのは得策ではないと考えました。

そうすると、主体的に、自分のために生きていくことを自然に選んでいくことができます。

 

本当は自分はどういう生き方がしたいんだろう?

と考えます。

 

何も出てこないよ

というコメントが来る気もしますが、それは本気の目標設定が終わっていないからです。

 

目標さえ明確であれば、

(明確にしつづける意識・勇気は必要です)

自分が本当にどうしたいのか

ということだけに沿って動けばいいわけです。

 

それをすぐにわがままに全部やって生きよう

ということではありません。

 

計画性を持って、努力しつつ、成し遂げていく

そういう目標設定にするべきでもあります。

 

ふとした幸せは日常にある

と、良く目にしますが、なにか特別なことをしなければいけないわけでもありません。

 

目覚ましを使わない生活

も本気の目標設定で、本当に自分がしたいこと

であれば問題なしです。

 

兎にも角にも、他者に何かを言われたくらいで変わる習慣ではないような生活を見出し、

満足しながら他者と分離して生きていくことを選ぶことに意義があると感じます。

 

いいな、と思ったことを実践する

それにお金が必要であれば稼げる仕事がなんなのか考える

それに時間が必要であれば時間の自由が聞く仕事がなんなのか考える

 

日本人によくある

人がやっているから自分もそうする

という思想からは遠く離れた考え方になりますので、変わった人だと思われるようになるのがデメリットかもしれません。

 

しかし、海外の人を僕は見ていて、

それがとても自由そうで、

逆に日本人は自分で選んでいるはずなのに窮屈そうで、

こういう考え方が腑に落ちました。

 

でも、本当に昔は周りに同化して、

目立たずに生きていくことを一生懸命やっていたのを覚えています。

変に目立つ人をアンチもしていました。

ルサンチマンの発動です。

 

それを理解して、踏み台にすると、生き方は広がるなーと思って生きています。

 

承認を捨てて、自己満足(自己実現)の世界で生きていくことを決めるのは虚しいと思うかもしれません。

 

合わせて大事なのは、他者貢献ですよね。

ただ、他者貢献を相手からの承認でやるのではなく、

結局自分の満足度に繋がっていく

という感覚で実行する。

 

そうすることでモラル(道徳)が欠如せずに、

自己満足=幸福感を高められるということになります。

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